つらい治療が始まる前にゆっくり親子の時間を過ごせるよう、入院当日だけ、子供の面会が許可になりました。その日、個室は家族団らんの場。夫が買い集めてきた様々なおいしい食べ物を広げ、一家は、楽しそうにテレビを見ていました。それはまるで家の居間がそのまま移動してきたような、日常的な光景でした。大きなショックに見舞われても、多くの人は、不安と共存しつつ、日常を維持する力を持っているのでしょうか。こうした発見
日常的な光景... の続きを読む
「薬はずっとのまないといけないですか」「今薬をのんでいて治ったような状態ですね。でも薬をやめるのは危険性がありますね。」この質問に対してどう答えるかは、病気の種類によります。まず躁うつ病の場合。単極型の躁うつ病で、初発の場合や、再発でもかなり期間が空いている場合には、症状がよくなって寛解状態になっても、ある程度の期間、だいたい三ヶ月から六ヶ月間、のみ続ける必要があります。症例や医師の考え方によって
服薬を希望しない場合... の続きを読む
医学部の修業年限は六年。もっとも若くても、卒業は二十四の歳になる。それから二十年ということは、この会場でいちばん若い人間でも四十四歳だ。入学時、ぼくたちのクラスは、どういうわけか歳をくった奴が多かった。いわゆる現役組は二割程度で、二浪や三浪は当たり前、社会人から医学部に入り直した老け学生も、けっこうな数いたのである。たしか、一級上のクラスより平均年齢が上だったはずだ。「おーう、元気かい?」クラス最
専門でもない内科で開業した五十四歳の同級生... の続きを読む
演歌の流しは、そんなことにかまいませんでした。1964年、伊豆長岡で流しをやっていた宇佐英雄は(長岡ブルース)という自作のうたを歌っていました。これは「ミソラー」で終わるド演歌でした。のちに岐阜の繁華街に渡った彼は、地名を「柳ヶ瀬」に変更して、そのうたを歌い続けます。これを若き美川憲一がレコーディングしました。♪「夜に泣いている」の「ミソラ」が、かえって新鮮です。これが1966年のこと。60年代初
「ミソラー」で終わるド演歌... の続きを読む
標準体重プラス10〜20%までは、肥満ではなく「肥満ぎみ」と呼ばれていますが、実際には「肥満ぎみ」の大半が、脂肪率30%を超える肥満になるのではないかと、私は考えています。もっと多くの肥満が、標準体重の裏には隠れているはずです。標準体重は、体重の中身(脂肪や筋肉の割合)や体重の変化を考えなかったために、多くのかくれ肥満を見のがしてきた可能性があります。また、標準体重の範囲内であるのを口実に、かくれ
健康診断でさえ見つけることのできないかくれ肥満は要... の続きを読む