阪神大震災で教えられた非常時の「ルール」

2012.01.07

地震の当日、羽田からの日本航空第一便は遅れることもなく、関西国際空港に降り立った。すると、タクシー乗り場は三百人ぐらいの大行列ができていた。伊丹空港はダメージがひどく、すでに閉鎖されていたが、関西空港は余震があるものの被害はなかった。だが、関空は埋め立て地であるため、泉佐野市内まで一本の橋で結ばれている。そこを電車と道路が走っているのだが、JRと南海電車はすでに止まっていたため、交通手段はタクシーしかない。

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タクシーは幸い立て続けに来ているのだが、人が多すぎてなかなか列が短くならない。よく見ると、帽子をかぶった空港の職員が誘導しているのに、一台に一人ずつしか乗っていない。列に並んでいると、トイレなどに行った人からだんだんに被害の情報が伝わってきた。「神戸がつぶれたらしい」「千人以上も死んでいるらしい」「こっちにも来るらしい」と冷静に考えたらおかしな情報も、その場では不安をかきたてるだけである。次第にあたりの雰囲気は緊迫してきて、誰もが「早く島から逃げ出したい」と思うようになっていた。そこへまた余震がやってくる。