学歴社会批判は自分の首をしめるだけや

2011.06.27

とにかく庶民は学歴不用の肩を持っても、なんのトクもせんのや。しかし、金持ちはそれでトクをする。たとえば、このボクが、金持ちになって、かつ、自分の子が勉強できんかったら、必死になって学歴不用を説いてまわると思う。おそらく、マスコミは、その醜いサマを非難せんと、あの○○サンも人間がデキて学歴不用をいうようになったとホメるはずや。ホンマはその裏を読めんといかんのに。もし、東大が入試を廃止して全部、内申書や小論文で入学者を決めたら、東大は、旧ソ連のモスクワ大学がそうやったように、政治家や財界人の子でいっぱいになるやろう。そんなことをしていたからソ連はなくなってしまったが。“個性”や。人間性”など客観的に評価できるわけがないのや。しかし、いまは、外国人でも女のコでも試験さえできれば東大に入れる。昔、赤軍派が暴れとった頃でも、勉強さえできれば、その弟なりが東大や京大に入っとったんや。とにかく、学歴不用論が身分の固定につながらんとは、ボクには思えんのや。