講師に教えられた通りにまじめに学習しようとするが、自分で学習しようと考えることはない。簡単な例をあげよう。大きな書店に行けば、翻訳に関する本はいくつも並んでいる。翻訳書なら小さな書店でも何百点かは並んでいる。翻訳に関心があるのであれば、まして翻訳を学習しようとするのであれば、これらの本を大量に読んでいるのが当然だ。ところが、翻訳学校の教室ではこのような常識は通用しない。翻訳に関する本をいくつかあげて、読んでいるかどうか質問すると、まずほとんど読んでいない。役に立つはずがない入門書を一冊か二冊読んでいるのが精一杯だ。最近読んだ翻訳書をあげるよう求めても、答えはほとんどない。好きな著者の名前をあげられる受講生はほとんどいないし、まして、好きな翻訳者の名前はあげられない。そもそも、翻訳家については名前すらまったく知らない。野球に熱中している少年なら、野球選手の名前はいくらでも知っているし、町のテニスクラブに通う主婦なら、ウィンブルドンで上位に入る選手の名前はみな知っている。翻訳に関心があり、翻訳を学習しようとしているはずなのに、翻訳家の名前すら知らないのだ。ここまで受け身の姿勢で、翻訳ができるようになるのだろうか。