戦後、国民政府は中国大陸から60万の軍人を連れて台湾に移った(1949年)。これらの軍人のほとんどは退役するまで(1960年代)、独身のままで暮らしてきた。しかしながら、1970年代末から1980年代にかけて、華僑の仲介により、台湾の退役軍人が東南アジアの女性と国際結婚するようになった。やがて、こうした国際結婚の風潮は、退役軍人以外の一般民衆にまでおよび(大体は社会的・経済的レベルの低い階層に波及)、いわゆる「外籍新娘」(外国人花嫁)ブームになった。別の言い方をすれば、経済的弱者である東南アジアの女性は、海を渡って文化的弱者である台湾人男性の結婚相手になったのである。中国大陸からの「大陸花嫁」も同じような状況におかれた。そもそも大陸花嫁が生まれたのは、1987年の戒厳令解除とそれ以降の中台人民交流の活発化に起因すると考えられる。東南アジアおよび大陸籍の女性が台湾人男性の配偶者になったきっかけは、「同種」の考え方である。実際に彼女たちが台湾に定住しはじめると、その方言や生活慣習の違いが目立つようになった。とくに子どもが生まれた後は(そもそも出産が彼女たちの役目だとみられていた)、子どもの教育のためという理由で、台湾とは異なる母国の生活慣習や言葉の訛りが矯正されるようになった。以上、外籍および大陸籍の配偶者(以下、「外国人花嫁」と略称)の問題とそれに対する国の対策方針について概観した。以下では、台北蒜石碇郷、萬里郷の保育施設を取り上げて、外国人花嫁(とくに大陸籍配偶者)の子どもをとおして、幼児期の異文化教育の問題を探ってみたい。
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